京都地方裁判所 昭和43年(行ウ)127号 判決 1974年4月26日
原告 藪内宏美
被告 京都地方法務局長
訴訟代理人 上野至 外三名
主文
被告が原告に対して昭和四二年八月一六日付を以てなしたる懲戒戒告処分はこれを取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一双方の申立並に主張
別紙のとおり
第二証拠<省略>
理由
請求原因(一)ないし(四)の事実は当事者間に争いがない。よつて被告抗弁の本件懲戒処分の根拠事実の存否について考察する。
一 <証拠省略>を総合すれば次の各事実が認められる。
(1) 昭和四二年二月二日午後二時四〇分頃原告は実調に赴いてその帰りに本件測量車を運転して新町通りを南下し、上京区新町上立売の交差点にさしかかつたので、時速五キロメートル程に減速して同交差点を北より南へ通過しようとしたが、折柄同交差点の南側を東より西へ横断歩行していた木村幸次郎を発見し、急いで制動措置をとつたが間に合わず、自動車の前方を木村の身体に接触させた。これにより同人は路上に転倒し左下腿外顆部骨折の傷害を受け、同日より翌月四日迄入院治療をしたこと。
(2) 原告はこの事故で同年四月三日京都簡易裁判所に於て業務上過失傷害罪で罰金一五、〇〇〇円に処せられ、確定したこと。
(3) 本件に於ては、事故当時の現場に於けるスリツプ等の痕跡の記録をとどめておらず、原告が被害者を発見したときの彼我の位置から衝突までの位置関係等にかなりの相違が見られ、実況見分の際に立会つた原告は発見時の被害者との距離を三・六七メートル程と指示し、昭和四六年六月二日当裁判所の検証時には右距離を五・六〇メートル、その発見時点より衝突地点迄の距離を七・三〇メートルと指示し、その距離や地点に相違があり、客観性を欠く憾がある。もつとも主観の表現であるから時を異にしその程度の相違が生ずるのはやむを得ないと考えられるが、何れにしても原告が主張するような被害者が自動車の進路上へ急に立ち現れたと云うような状況であつたとは認められない(この点は後述する)本件に於ては、原告が被害者を発見し現に制動操作をしたに拘らず接触事故を生じている結果より見て、原告が制動操作をしても接触を避けられない程の至近距離で制動操作をしたか、そうでなければ制動操作の不良(制動装置の機能不良をも含め)か、そのいずれかによるものと考えられ、前記のとおり位置距離関係に相違が見られる事情からそのいずれを原因と断定することは困難であるが、本件事故につき原告に前方注視を怠つたか、さもなくば適切な制動操作をしなかつた過失があるものと推認することができ、原告が被害者を発見し、「直ちにブレーキを踏んだが完全に停止するに至らなかつたためもう一度ブレーキを踏み停車した」、「当日事故前にブレーキの調子がおかしく一度ではうまくかからず、二度踏んでやつときくことを知つていた」など、制動装置の機能の不良の事実も事故発生と関係がなかつたとは云えない。
しかしながら、仮に右の制動装置の機能の不良が事故発生に関係があるものとしても、当時、運転に従事していた原告は右事実を知つていた(この点は、前掲<証拠省略>による。)のであるから、同人としては、その点をも考慮して早目に制動操作をなし、あるいはより一層の注意を払つて前方を注視すべき義務を負つていたものであり、右の義務のいずれかに反したことは前述のとおりであつて、制動装置の機能に不良があつたことを理由として原告の過失を否定することはできない。
(4) 被害者木村幸次郎は事故当時七〇才の老人で織元の会社へ所用のため織物用ビーム(ちぎりと云い廻り一尺五寸位、長さ二尺五寸位、重き約五キログラム)を右肩にかついで上立売通りを南側沿いに歩行してきたが、本件交差点を東より西へ横断するに当り南北の自動車の通行、特に右肩に右ビームを担いでいたため北側に対する注視が妨げられる状態にあるにも拘わらず、注意を払わず漫然と交差点内へ歩行して行つた重大な過失あることを看過し得ない。
(5) 自動車と被害者との接触程度はさして激しいものとは云えず、自動車が停止する寸前の僅かな程前の衝動で、この衝動により老令であり、そのうえ重い物をかついでいた被害者は、よろめいて転倒したのであり、そのため接触は被害者の右側であるが、そこには察過、打撲などの傷痕なく、逆の左側のくるぶし部分にのみ前記傷害を受けていること。
二 <証拠省略>によれば、原告の前記主張(抗弁に対する認否の(二)<省略>)に添う供述が見受けられるが、前認定のとおり本件交差点は変形的で上立売通りの南側線は新町通りの東よりも西側で南へ広がつているため、被害者が上立売通りの南側沿いに歩行してきて交差点を東より西へ横断するに当り若干南西に進んだことがあるかも知れないと推測はできるが、原告主張の如き完全に南向きに歩行していた被害者が急に右折し自動車の進路上へ出現したと解することは不自然であり、かような事故責任の所在を決するような重大な事実が存在していたとすれば当然その当時に警察、検察庁等の取調べに際し述べられるべき筈であり、述べることを妨げる事情が存したとは見られない。然るに当時その事実について何ら述べることなく、本件訴訟に於て始めてさような主張が見られるに至つたことは理解し難い。要するに原告のこの主張は前記各証拠に照し措信し得ない。
三 以上によれば、被害者との過失割合は別として、原告が本件事故につき過失なく、責任がないとのことは言えない。
四 本件事故が実調に行つたその帰路に発生したことは前記のとおりであり、原告が担当する職務のうちに実調が含まれていることは原告の自陳するところ(請求原因(一))である。実調のための往復はこれをも否めて職務行為と理解すべきは自然であり、往復のため自ら自動車を運行する場合はその運行が実調に付随する職務行為と解すべきである。
原告は、原告の測量車運転は職務行為としてではないと主張する(前記抗弁に対する認否の(三)<省略>、但し同項の主張は、登記官でない事務官である原告が実調を行う根拠は不動産登記事務取扱手続準則第八七条に基づき登記官の指示、命令によるべきものであるから、その指示、命令を受けることなく、自発的になした事故当日の実調そのものが(自動車の運転ではなく)職務行為と云えず、従つて運転もそうであると主張している)が、<証拠省略>によれば、京都地方法務局事務分掌規程では土地、建物検査等の事務は従来登記課不動産第三係の所管とされていたが、その後出張所の開設に伴い本局の人員が削減され、不動産第一係が所管するようになつたが、同時に不動産第二係も応援協力して実調事務に当るよう登記課長から命ぜられたので、右第一、二係ではその体制をとり、毎週火、木曜日を実調の日ときめ、個別的指示、命令を俟たずその事務の遂行に当つてきており、本件事故当日もかように制度化した右一般的命令に従い右第二係に属する原告が同係所属の同僚西田饒と共に実調の事務を遂行したのであること、そして本件測量車は他の用途にも使われていたが本来実調の為に配布された公用車でこれを使用して事故当日実調に行つたのであることが認められる。
以上のとおりであるから原告の本件事故当日の測量車の運転は国家公務員法第九八条の職務遂行中に当るものと云うべきであり、これに反する原告の見解は採り得ない。
五 叙上のとおり、本件事故は原告がその職務を遂行するについて惹起したものであり、原告に事故発生につき過失があり、罰金刑に付され確定しているのであるから、国家公務員法第九八条第一項、刑法第二一一条前段、道路交通法第七〇条に該り本件懲戒処分は根拠あるものと云え、そのうち最も軽い戒告に付したことは一応首肯し得る。
しかしながら、第三者作成に係り真正に成立したものと認められる<証拠省略>によれば、原告は本件事故発生日の一週間前の昭和四二年一月二六日に第一種普通免許をとつたばかりで、その間原告は本件測量車を一回運転したことがあり、事故当日の運転は二度目で、いわば運転経験は皆無に等しかつたこと、事故当日の測量車には原告よりも以前の昭和三九年四月に運転免許をとり運転経験の古い(この点は<証拠省略>による)同僚の西田饒も乗車したが、誰が運転するかについて話合う迄もなく原告が往路も復路も運転し、西田は免許を得たての原告の練習によいと考え、原告も同様に考え自ら進んでその機会を持つた模様であることが認められる。
そして<証拠省略>によれば、測量車には全国的に各法務局とも専属の運転手は配置されておらず、運転免許を有する職員によつて職務上利用されることを期待していたこと、京都地方法務局に於ても自動車管理規定の定めとして、使用の資格を運転免許を有する者に限つていたが、これは当然のことで、免許を有する者が職務上の使用を申し出れば会計より鍵を交付され随時使用することができ、そのようにしてこれまで使用されてきたのであつて、測量車の運転管理に関して以上のことは制度的にも個別的にも特段の考慮(例えば時に応じ交通事故を起さないよう一般的注意を与える等のことはあつたであろうが、このようなことを別として)を払つていた形跡のないことが窺える。
運転免許を有する者に測量車の使用を認めること、これは一応当然のことであるが、原告の如く運転経験の皆無に等しい免許を得たての者に関しても、いわば運転免許がありさえすればよいとの態度で運転を許し、運行の安全管理に関しそれ以上の考慮を払わず、運転者まかせにしていたことにも問題なしとは云えない。
本件事故の発生は、直接的には原告の前記のような運転経験の極度に乏しい未熟さに帰すべきであるが、運行の安全に関し管理権者たる被告に管理上の欠陥があつたとは云えない。そして前記のとおり接触の衝撃がごく軽微であつた事実よりして、故障ではないにしても測量車の制動装置に機能の不良がなかつたとすれば本件事故が避け得られたであろうと云えなくもない。
近時交通事故の激増頻発の傾向にかんがみ、公務上運転業務に携わる者の事故責任が厳正に問われなければならないことはもつともであるが、懲戒権者たる被告自身に右の如き測量車の運行の安全につき管理上の欠陥が指摘される外本件事故の発生には被害者にも重大な過失があつたこと、その他本件に於ける一切の事情を考慮すれば、本件戒告を以てした懲戒処分はなお著るしく重きに過ぎるものと思料される。
六 以上のとおり本件懲戒戒告処分は違法であるからこれを取消し、民訴法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 林義雄 富川秀秋 房村精一)
(別紙)
第一 当事者の求めた裁判<省略>
第二 当事者の主張
一 原告
(請求原因)
(一) (原告の地位)
原告は昭和四二年二月二日頃、法務事務官として京都地方法務局登記課に勤務し、登記簿の記載、登記済証の作成および表示登記の処理に関する実地調査等の職務を担当していた。
(二) (本件処分の存在)
被告は原告に対し、昭和四二年八月一六日付で懲戒戒告処分をなした。
(三) (本件処分の理由)
(1) 被告が原告に対して昭和四二年八月一六日交付した処分説明書には、処分理由として、「原告は昭和四二年二月二日午後二時四〇分ころ、不動産表示に関する登記の実地調査(以下実調という)を終え、帰庁の途次自己の運転する普通貨物自動車(以下測量車と称す)で、京都市上京区新町通を南行、新町通(以下本件道路と称す)と上立売通との交通整理の行われていない交差点(以下本件交差点と称す)を北から南に向かい、時速約五キロメートルで直進中、折から同交差点南詰付近を東から西に向つて歩行横断中の木村幸次郎(七〇才)を四メートル手前で発見したが、確実な制動操作を尽さなかつた過失により、同人に接触転倒させ、よつて同日から翌月四日までの間入院加療を要する左下腿外顆部骨折の傷害を負わせた事実」との記載があり、根拠法令として国家公務員法(以下国公法と称す)第八二条第一号が掲げられている。
(2) 同年同月原告が処分理由につき釈明を求めたところ、被告は「原告が刑法第二一一条に触れ有罰となつたことで、国公法第九八条第一項にいう法令遵守義務に違反し、且つ同法第九九条にいう国家公務員として官職の信用を傷つけたものであり、そのことが同法第八二条第一号に該当する」旨釈明した。
(四) (審査請求)
原告は、本件処分を不服として人事院に対し審査請求をしたところ、人事院は昭和四三年九月三日本件処分を承認する旨の判定をなした。
(五) (本件処分の瑕疵)
本件処分には事実を誤認し、法令の適用を誤つた違法がある。
二 被告
(請求の原因に対する答弁)
(一) 認める。
(二) 認める。
(三) 認める。
(四) 認める。
(五) 争う。
<以下事実省略>
別紙(一)、(二)、(三)<省略>